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ごんどう法律事務所

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お知らせ

2023-03-17 10:39:00

民事訴訟において、「闘う相手」は誰でしょうか。

普通に考えたら、相手方当事者、ということになるでしょう。

訴訟になる前にいろいろとやり合ってきたのであればなおさら、「相手に勝ちたい」そう感じるはずです。

 

もっとも、弁護士も同じ考えかというと、必ずしもそうではないように思います。

強引な言い方をすれば、闘う相手は裁判所です。

もちろん、喧嘩腰で挑むわけではありませんし(むしろ有能な弁護士ほど紳士的だと思われます)、無理な請求をふっかけるわけでもありません。

言い方を換えれば、「闘う」というのは、「裁判所に請求を認めさせる」ということです。

「事実」と「証拠」に基づいて、依頼者の請求(被告であれば抗弁等)を、理路整然と主張立証する。これが、弁護士が考える「闘う」という意味です。

そうであれば、その闘う相手は必然的に、対立当事者ではなく、裁判所だということになるはずです。

 

 

そのため、次のことが言えると思われます。

・相手方当事者の感情的な(訴訟の本筋と関係のない)主張に対して、逐一対応する必要はない

訴訟の場ですから、相手方当事者も自己の言い分を通すため様々なことを主張します。ときには必要な限度を超えて「勢いが良すぎる」主張がされることもあります。

そのような書面を見ると、依頼者としては頭に血が上るのも無理はありません。

しかし、そこで感情のままに口喧嘩の延長のような反論をするのは実にもったいないのです。

仮に相手方当事者が、本筋に関係のない無益で感情的な主張をしているのであれば、むしろこちら側は、あえて冷静かつ的を絞った簡潔な反論をすべきです。

その方がよほど、裁判所の心証を勝ち取る可能性が上がります。

 

また、

・過剰な主張や要求はすべきでない

ということも言えると思います。

人によっては、「最初の要求は最大限ふっかけるべきで、その方が妥結する場合にも自分に有利になる」という考えもあるかと思います。

たしかに、一般的な交渉の場では、それが有効な場面もあるかも知れません。

しかし、訴訟の場ではそれが功を奏することはあまり考えられません。

通常、裁判官は事実と証拠と経験則によって判断を下すためです。

客観的事実をどう評価するかは経験則がモノを言いますが、突飛な経験則を持ち出したところで、あまり意味はありません。

「独自の見解であって採用することはできない」とあしらわれてしまいます。

そうではなく、社会通念=常識に従って、的確に事実や証拠を評価し、自らの主張に結びつけなければなりません。

このような地味な過程をすっ飛ばして、独自の考え・価値観に基づいた空中戦を仕掛けたところで、有利に結果には結びつかないでしょう。

以上から、あたかも相手方当事者と闘うような心持ちで過剰な主張等をする実益はないのです。

 

 

長々と書きましたが、要するに言いたかったことは、

「感情的な主張、無茶な主張を書いてと頼まれても、弁護士は書きません。」

ということです。